プロフィール

はち先生
はち先生

初めまして!はち先生です。

経歴

これまで様々な職業に就き、たくさんの挑戦をしてきました。私の人生には、仕事・挑戦・学習が必要。その様子を少しだけ皆さんにご紹介します。

保育士になる

初めは東証一部上場の大手株式会社の保育園で働いていました。初めての担任は0歳児。その次の年は持ち上がりで1歳児の担任を任され、複数担任のリーダーを務めました。初めての担任では、0歳児の尊さに母性が芽生え、肌がツルツルになる程、子どもたちに愛情を与えました。その時にふと「この子達のこの先の未来にも関わりたい」という思いがありました。それはのちに私を保育・教育の学習へと向かわせる原動力となります。

このときに良いことばかりではなく、保育現場の実情を知ることになります。それは、人間関係の複雑さ、労働環境の問題などが保育業界の闇であったことです。入職する前は、小さい子どもたちの保育をするという重要な職業・笑い声が広がる素敵な職業だと思っていましたが、それは教科書や学校の中での話で、実際は人間関係や過重労働が8割ほどを占めることに気付きました。子どもたちのことを考えたいのにいつの間にか大人の顔色を伺ってばかりで、それに疲弊し食事が取れなくなり、生理不順になり、健康だった自分の体が壊れていくことに恐怖を感じ退職しました。その頃、結婚したばかりでもあったため、“子どもが欲しい“という思いもあり、自分の心や体を守るのに必死でした。

その次に、自宅地域の病院で働きました。そこでは保育士として採用され、企業主導型保育事業の立ち上げの業務を行いました。企業主導型保育事業は、平成28年に内閣府から創設された事業です。認可並の助成金が下りるため、内閣府の「従業員の多様な働き方に応じた保育を提供する企業等を支援する」という言葉も後押しし、様々な企業が参入していた時期です。採用になった私ともう1人の方と2人で立ち上げのための準備をして運営しました。その時は、助成金や保育施設の開所の説明を聞きに直接、都庁に伺ったり、人を採用するために労働局に行ったりしました。場所は用意されていたため、必要な設備の計算や看護師・保育士の求人募集・採用、収支の計算や献立の立案、運営を行なっていました。

この頃、保育所の立ち上げを経験し、自信をもった私は様々なことに挑戦します。ヨガのインストラクターの資格を取ったり、ベビーシッターをしてみたり、保育について情報発信してみたり・・・。スキルアップに関することに挑戦することが楽しくて、若気の至りもあって、独立を目指します。

フリーランスになる

仕事を辞めて、フリーランス保育士として活動を始めます。ツイッターで保育士の労働環境の改善を発信していたことがきっかけとなり、関係者からDMをもらうようになり、あれよあれよという間に「保育士コミュニティ」という勉強の場・コミュニティを作りました。保育関係の企業様とコラボしたり、ヨガで知り合った方と「保育×ヨガ」のイベントを開催したり、個人で活動している方・勉強したい方・事業をしている方が集まった飲み会を開催したりと活動を増やしていきました。今思えば、完全にイケイケゴーゴー状態です。その中でも、人材紹介会社様から都内の保育園のアポ取りと取材の仕事を引き受けたりもしました。そんなこんなで一番勢力的に活動していた時期に急に終止符が打たれます。

それはコロナウイルスが始まった時期です。それまで対面でのコミュニケーションを大事にしていた活動が、コロナによって直接会うこともできなくなりました。それどころではない騒ぎでしたね。フリーランス保育士としての活動も難しくなり、さらに実家に戻るように催促されるという窮地に立たされ、なんとか都内に残る方法を考えた結果、次のフェーズに入ります。

幼稚園教諭になる

フリーランス保育士の時に、一緒に活動していた方の紹介と「残って欲しい!」という後押しで、幼稚園教諭として働くことになりました。なぜ幼稚園教諭?と思った方もいるでしょう。私には、関東に残る理由がありました。それは、「小学校教諭の資格をとる」です。ここで、保育士時代初期に思い描いていた“この子たちの先の未来に関わりたい“を実現させるために行動を始めます。

知り合いに、川崎市でかつて園児数が一番多い法人の幼稚園を紹介され、学園長に「小学校教諭のしかう取得を目指しているため、幼稚園教諭として働きたいです」と申し出ました。それまで保育畑で働いてきた私は、幼稚園=「お勉強・ピアノ堪能・1人担任」という勝手にハードルを上げて敬遠してきた業界に入ることに決めました。なぜなら、小学校教諭の免許をとるために、学校教育の基礎である幼児教育を学び、実践を積みたかったからです。学園長に快諾され、新天地で幼児教育に飛び込みました。

このときは、3歳児担任を2回、未満児クラスの担任、親子教室の担当を行いました。それまで乳児クラスの担当が多かったからか“乳児の先生感“が滲み出ていたのかもしれません。それでも、責任とやりがいを感じて毎日子どもたちのために楽しい活動を考えて実践していました。

ここでも困難がありました。それは、人間関係・労働環境の問題はありますが、もっとも頭を悩ませたのは多様性の保育です。ここではあえて多様性と表します。個性を尊重する保育、個性を伸ばす保育は得意だと思えるほど一人ひとりの性格や行動を観察して関わりを考えたり、その子のためになることを行いました。日々の活動や行事などにも個性が発揮されるような内容を取り入れました。しかし、1人担任が故に、全ての子どもたちに手が回らないのです。幼稚園は文部科学省が管轄なので、保育園を管轄する厚生労働省よりも“個別対応“に関しての支援が薄いと感じていました。どうにもできないのは法人も同じで、支援が必要な人数に対して補助の先生を十分に配置することなどが難しかったのだと思います。それに加えて研修の少なさから、独断で保育をするという環境が定着していました。

不甲斐ない現状と自身の保育者としてのプライドを守るために、私は学習をしました。子どもに関わることを勉強することで、自身の“保育者であるプライド“を守っていたのです。

小学校教諭の資格取得を目指す

幼稚園で働き初めて半年。初めてのボーナスを全て通信大学の入学費に突っ込みました。入学して1年はオンラインでの勉強の進め方、レポートの書き方が分からず、1年かけて1教科だけしかレポートが出せませんでした。2年目になり、「お金を払えばオンラインで授業が受けられて、単位になるんだ」ということに気づき、やっと行動を開始します。冬季スクーリングで初めて対面の授業を受けに大学に行きました。そこで出会った人たちと情報交換をしたことがきっかけで、勉強のスピードが加速します。

3年目になった頃、自分が勉強していることがとても重要なものだということに気づきます。それは、自身が小学校だったときと、現在の教育は大幅に変わっているということ。昔よりも教育はアップデートされ、教える先生も「自分たちが受けてきた教育は忘れなさい」というほど、これからの社会の変化を見越した教育を行なっていかなければいけないことを知りました。

アップデートされない知識・環境、その中で働く保育者はたくさんいて、当時の自分もその中の1人で、これからの教育を学んでいるのに、どうすることもできない現状に憤慨していました。

社会も教育も、子どもたちを取り巻く環境はすごい速さで変化しています。教えなきゃいけないこと、伝えていかなきゃいけないこともたくさんあると感じます。「先生」である自分がやらなきゃいけないことは、もっとたくさんあると気づきました。

このサイトを運営する意義

これまでの経緯があって、先生の仕事を頑張る方と共に子どもたちのために行動していきたいと考えました。

  • 少しでも子どもたちを取り巻く環境をより良いものにするために。
  • 先生の知識・経験がアップデートされるように。
  • 大人も子どもも、挑戦・学習を始める第一歩を踏めるように。

自分の経験や知識が、たくさんの先生の知識と経験として分けることができるように。それがこのサイトを運営する意義です。

はち先生について

これまでの経歴について長くなりましたが、私のプロフィールを簡単に紹介します。

  • 30代 女性
  • 夫と2人暮らし
  • 掃除・片付けが苦手で部屋は丸く掃くタイプ
  • 趣味はフラワーアレンジメントとヨガと読書と旅行

簡単に紹介しすぎました。知りたいことがあればメッセージくださいね!

保持資格

  • 保育士
  • 幼稚園教諭
  • 病児保育スペシャリスト
  • チャイルドコーチングアドバイザー
  • キッズヨガインストラクター
  • メディカルヨガインストラクター

資格マニアになりつつありますが、気になる資格や勉強方法などについては気軽に聞いてください!

はち先生
はち先生

これからもよろしくお願いします。